新年あけましておめでとうございます。というわけで、今週から徒花プロジェクトは2018年初ライブスタートでございます。お正月でだらけて体力がないなんてことにならないようにしっかりと鍛えておきたいと思います。たいていのイベントはあんまり好きじゃないんですが、お正月は好きなんですよ。お笑い番組が朝から夜遅くまでやってるし、街も閑散としているし、実家に帰ろうって気持ちになるしね。皆さんはどんなお正月をすごしているんでしょうかね?

 お正月とは全く関係ないのですが、「幸せなら手を叩こう」って歌が気になっています。歌詞を1番だけ載せる「幸せなら手を叩こう 幸せなら手を叩こう 幸せなら態度で示そうよ ほら皆で手を叩こう」って歌なんですね。この3つめの「幸せなら態度で示そうよ」ってとこが僕的には滅茶苦茶怖いんですね。そんなこと考えてる人他に居ませんかね?
僕たちはこういうテイストの歌を小さな頃から唄わされているから協調圧力に負けたオリジナリティの欠如した人間が大量生産されたのではないでしょうか。重要なのではなく、幸せなことが重要なんでしょ? 誰かそうだと言ってくれ。

 僕は子供の頃、とても素直な少年(今だってとても素直だ)だったから、何も考えず手を叩いてこの歌を唄っていたはずですよ。やれやれ、この罠に気が付いていれば先生に一矢報いることだって出来たはずなのに。クラスには1人くらい先生が「1人1回は手を挙げましょうね」と言われても頑なに手を挙げない子や「必ず宿題を提出してね」と言われても絶対に提出しない子が居たりしますよね。僕は子供の頃、「なんで、しないんだろう? すれば終わるのに」って無邪気に思うわけですが、彼らはイデオロギーを持ってそうしていたのかもしれません。いや、単にだらしないだけなのかもしれないけど。

 僕はみんなと一緒に手を叩ける人間だったのに、いつの間にか絶対叩けない方の人間になりました。それでいいような気がします。周りが無言でそういう空気を作っていても、無視すればいいはずです。同じ事象に対して、全員が同じように感じることなんて不可能でしょ? ということは、手を叩いてる人が居ても、下を向いてニヤニヤしてても、幸せと感じなくても別に構わないんじゃないでしょうかね。今でこそ、先生もある種弱い立場の人間のような感じもするわけですが、僕が小さかった頃はまだまだ絶対的強者でしたよ。4時間廊下に出されてカルタ大会に出してもらえなかったこととか未だに忘れませんからね。はてさて、どうしてこんなことを今更思い出すのか、人の脳は本当に謎が多いですね。幸せならそれでいいじゃん。