それで、僕はその友達の辛かった話を聞いたり、励ましたり、冗談を言って笑わせたりするうちに、自分が少し回復していることに気が付いたんですね。僕も同時に元気を貰っていて、心地よい人間関係を気付けているような気がしていたのです。少しずつ元気になっていった僕は、ギターを触る時間が増えて、音楽について考える時間が少しずつ増えていきました。そうして出来た曲が『愛と平和』ですって話なら、まあいい話になるんですけど。

 僕、気が付いちゃったんですよね。というより、幾つかの疑惑が頭を過ぎるわけです。僕は作曲がしたくて、曲や歌詞のネタになりそうだから人に優しくしてるんじゃないかって。本当は善意とか好意とかじゃなくて、何処までも自分ファーストなんじゃないかって。自分より弱ってる人の話を聞いて優位に立とうとしてるんじゃないかって。偉そうに励まして感謝されようとしてるんじゃないかって。そして、僕の人生の今までの全ての優しさは全部自分の為で嘘だったんじゃないかって。そんなことを考えちゃったんですよね。しかも、僕の人生での優しさは全て無自覚にばら撒かれてるわけだから、それこそ逆に邪悪なんじゃないかって。ずるいことなんじゃないかって。ああ、恐るべき逆転の発想。そんなことはないって自分に言い聞かせながらも、なんだか自分に、自分の今までに、性質に絶望したんですよね。

『愛と平和』について真剣に考えた時、僕には絶望しかなかったんですよね。それは僕から最も遠い位置にあるものだって気が付いちゃったからね。今までは、それは自分にだっていつかは与えられるべきものだっていう印象で生きてたんですけど、去年の夏から、それはどんなに手を伸ばしても手に入らないものに格上げされたわけです。そして、簡単に奪われてしまうものでもありますね。ほんの少しのすれ違いできっとすぐになくなっちゃうような不確かなものだと分かったのです。

 その友達は回復したのかしないのか、夏が終わるとまた密に連絡を取ることもなくなって、僕は僕で再び元気がなくなっていったので、また夕暮れを眺めるのだけを楽しみに一日が終わるのをただひたすらじっと待つような日々でした。この時期に、静かに暮らすことだけが僕の望みなのに、それだけが望みなのに叶わないんだろうな、と、ふと思ったりしました。その日の夕暮れは真っ赤で、X JAPANの『紅に染まったこの俺を慰める奴はもういない』の歌詞が分かってからが本当の人生の始まりなんだな、なんてことを考えていたのです。次回に続きます。