結果が大切という風潮がある。それがいつから言われているのか僕には分からないのだが。いわゆる結果主義というヤツだ。僕の周りには結果が大切という意見の人が多い気がする。ということは総じてだいたいの人がそういう考え方を持っているということなのだと思う。そして、それらの人々が思う結果が大切と言うのは、「負けるよりは勝った方がいい」とか「同じ努力をするなら成果が出ないよりは出た方がいい」くらいのそんなに深い話ではないとは思うんだけど、なんかずっと気になってて。そんなに大事ですかね? 結果って。

 まず結果という言葉にはそもそもポジティブな意味が含まれていない。辞書を引くと「何かがきっかけになって新たな状態が出現したり最終的な判断が得られたりすること」とある。僕も含め、多くの人は結果という言葉をそもそも誤用しているらしい。「結果を出さなきゃ意味ないよ」なんて使い方は本当は間違っていて、原因に応じて結果は勝手に出ているのだ。良いか悪いかは別として。言葉の定義はさておき、僕はあまりこの結果主義が好きではない。僕にとっては結果などどうでもいいことだからだ。いつも書いたり言ったりしているような気がするのだが、「それ(とある事象)が本当に正しかったかなんて死ぬまで分からない」からだ。自分のちっぽけな価値観や浅はかな社会システム(10年もすれば価値が逆になる)で物事の本質を量ることなど出来ないのではないかと思う。もちろん短期的に見ることや期日を決めた場合の現状の目安にはなるとは思うけど。声を大にして結果主義を騙るより、自分の使命を全うするしかないのではないかと思ってしまうのだ。

 少数派なのかもしれないが、僕は過程主義である。「負けるより勝った方がいい」に決まっているし、「努力をするなら成果は出た方がいい」と思うけど、大切なのは「どのように勝ち、負けるか」で「どんな努力をするか、どうしてそうしようと思ったか」の部分が僕にとっては大切だ。意思があり、仲間が居て、愛があったりするのではないか。そういう部分に思いを馳せてしまう。賽を振ることは出来るが、出目に介入することは出来ない。だから、僕は過程に重点を置く。ゲームで裏技を使ってラスボスを楽に倒しても快楽がないし、カンニングしてテストで満点を取っても仕方ないし、強盗してお金持ちになっても仕様もないもんな。それに、結果に拘ると多分生きづらい気がする。負けるのが怖くて勝負出来なくなってしまうんじゃないだろうか。人生はロールプレイで結果はエンディングで過程はドラマだ。そして主人公は自分だ。さあ何度でも賽を振ろうじゃないか。好きな数字が出るまで振ればいいのだ。そして締め切りは死ぬまでだ。ごきげんよう。