これを書いている今日は3月11日です。そして今日は東日本大震災から7年経った日なのです。2011年は個人的にも色々なことが起こり、この地震のこともよく覚えています。僕個人に出来ることはあまりないとは思うのですが、早速Yahoo!で「3.11」と検索して10円募金してきました。それから3月はラヂオ気仙沼で徒花プロジェクトの『白猫にゃーにゃー』がパワープレイされています。気仙沼はニュースで何度も名前の出てきた地域ですが、我々の楽曲を掛けて頂いて、僕はとても嬉しいです。東北にはあまり行ったことがなかったのですが、牛タン食べに行ってみようかなって気持ちになりました。

 本当は他に書かなくてはいけないことがあったのですが、前置きも長くなってしまったのでこのまま2011年の話を続けてみたいと思います。7年前の今日地震があった時刻は、関東でも地面が溶けてしまったんじゃないかってくらい揺れて、現実感のないふわふわした気持ちになりました。僕は帰宅難民にはならず夜には家に帰れたのでテレビを見ていたのですが、津波の映像や瓦礫の山になった街並みを繰り返し見て、やりきれない気持ちになりました。食料が被災地に行き届かないとニュースでは報道していて、僕の家の近所のスーパーやコンビニからも食べ物が売られていない日が何日か続きました。幸い僕は飢えることはなかったけど、当たり前にあった物がなくなることが如何に怖いかというのを身をもって体験しました。

僕はこの時期、桑田佳祐さんのアルバム「MUSIC MAN」を聴いていて、励まされたのを覚えています。こんな時期に音楽を聴いているのもなんだか申し訳ない気持ちになりながら。そういえば、この時から「不謹慎」というワードが滅茶苦茶使われるようになったような気がします。「被災地が大変な時に○○なんて不謹慎だ」みたいな感じでネットなどで急速に使われだした気がします。

 僕はこの時期、色々なことが上手くいかなくて4~11月、ずっと家に引きこもっていました。ずーっと家に居て、することがないから家にあるゲームを片っ端からクリアして、内村さまぁ~ずのDVDを擦り切れるくらい観ていました。その時は前のバンドも活動をやめていて、モヤモヤをずーっとため込んでいた時期でした。作曲は少しだけしていましたけど。今になって思えば東北地方の人はもっと大変だったはずだし、その時の自分は弱いなあと思うのですが、どうしても行動できなかったんですね。ずっと泣いているのに何が原因か分からない感じでした。今だったら、もっとタフだなと強く思います。暖かくなってきましたし、タフにいこうぜ。ご機嫌よう。