先日、新宿カールモールでライブだったのですが、夏のライブでは恒例になっている夏度診断ね、夏っぽいことをしているお客さんの少なさにびっくりしてしまいました。一体、皆さんはどんな夏を過ごしていたのでしょうか? 僕は海に行ったり砂丘を見たりしたかったです。夏がずっと続けばいいけど、今年は流石に暑すぎましたね。

で、今週はライブの時の話なんだけど、三年振りくらいに『やらせてバタフライ』という曲を歌ったんですね。僕は自分が書いた曲の中で未だに結構好きなのです、この曲。それで、練習しなきゃいけないから久々にアルバム『カタルシス』を聴いてたんですが、昔の自分の作品を聴くのって恥ずかしいですね。親戚のおじさんに自分の小さい頃の話をされたり、家族で幼少期の写真を見たりするくすぐったさがあって。この時の僕にはやりたいこととか使ってみたい技術とかがたくさんあったんだなあって思って。実力不足なんだけど、こういうことがしたいっていう意思表示がちゃんとあるんですね。本人だから聴けば分かるわけです、その時の気持ちとかね。アルバム全曲聴いたんだけど、今と比べて歌詞のキレが滅茶苦茶いいんですよね。誰にも伝わらなくていいと思って書いてやがるのです、あの頃の僕。それにセオリーみたいなものをすっごい無視してるんですよね。羨ましい。

 その中でも歌詞が一際キレてるのが『やらバタ』だったわけですが。サビが「蝉の死体」から始まるのも、今考えればおかしい(未だに直ってないけど)し、君とか僕とか俺とかあなたとか、なんか沢山人が出てくるし、登場人物の意識を作曲者自身がどんどん乗り移っていって、本当に自分にしか意味が伝わらない歌になっているんですね。でも、当時の僕にとっての音楽は『自己療養』のようなものだったから、それで良かったんです。曲のキーも高いし、何故か最後に転調して更にキーを上げてるし、和音もわざと濁らせてるのを弾いてもらったしね。今思えば非常に不完全な気がするんだけど、僕はどうしてもこの曲が好きなんですよね。それはどうしてかって言うと、やっぱり自分の初期衝動みたいなものが詰まっているから。単純に作曲が楽しくて、作詞をするのが楽しくて、唄うのが楽しかった。

 最近の僕はそういう、楽しいから曲を作る、伝えたいことを書く、気持ちいいから唄うみたいなシンプルなサイクルを見失っていたように思う。それがきっと、ここ三か月のモヤモヤの理由なんじゃないかと思う。最近の僕はお利口さんでつまらない。技術はついてきているのだから今こそ魂と100パーセントでセンスを使いたい。次のシングルCDを楽しみにしていてくれたまえ。ごきげんよう。